THE 1行雑学 #1 〜日本史編〜

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4. 「奥の細道」の松尾芭蕉は忍者だった!?

「五月雨をあつめて早し最上川」「夏草や兵どもが夢の跡」など、多くの名句を詠んだ松尾芭蕉。
そんな俳人として名高い彼が、実は忍者だったのでないかとまことしやかに噂されているのはご存知でしょうか?
それは、彼の出生地に理由があります。
彼の生家は伊賀(現在の三重県西部)。
そう、あの忍者の里として名高い土地の出身なのです。
さらに、彼の家は百姓であるにも関わらず、芭蕉は名字を名乗ることを許されていました。
当時、伊賀で名字を名乗ることを許されたのは、武士と一部の上級農民、そして一部の忍者だけでした。
そのことからも、芭蕉忍者説が真実味を帯びていったのでしょう。
数々の名句を作り出した彼の諸国探訪は、幕府の目が届きにくい地方の情報収集だったのかもしれません。

(月岡芳年作『月百姿』より『三日月の頃より待し今宵哉』)

5. 源義経イケメン説は嘘!?

源義経と言えば、誰もが知っている平安時代の悲劇の英雄。
兄・頼朝とともに亡き父の仇である平家を滅ぼさんと戦いましたが、最後には兄の根回しによって藤原泰衡に攻められ、平治元年(1159年)に自害に追い込まれてしまいます。
この悲劇的な死から、後世の人々は義経に並々ならぬ想いを寄せ、多くの伝説や物語を生みました。

(歌川国芳画 『和漢英勇画伝』より『義経 弁慶と五条の橋で戦ふ』)

そういった物語の中で必ず「美男」に描かれる義経ですが、実際のところ、それが本当かそうかはわかっていません。
義経の伝記である『義経紀』では「とても色白で眉細も細く、(中略)楊貴妃のように美しかった」と記述されます。
しかし、『平家物語』では「背も小さくて色白で出っ歯の目立つ男」というように記されています。
どちらが真実なのか、今となってはわかりません。
もしかしたら、義経を悲劇の主人公に描いた後世の物語の中で、義経を美男に描く風潮がどんどんエスカレートしていってしまったのかもしれませんね。

次回予告

さて、日本史1行雑学、いかがだったでしょうか?
これを読んで、少しでも日本史に興味が湧いたらうれしく思います。
気になる日本史の人物や事件があったら、ぜひ勉強の合間に調べてみてください。
意外な事実を発見できるかもしれませんよ!

次回は、世界史の1行雑学を紹介します。
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